あれから12年経った

しむどん 2025-12-29

一年に一度、その年の仕事や個人的な出来事を「あれからn年経った」というタイトルで記事にしている。2025年は、2024年と比較すれば苦しさは少しだけ緩和されたが、それでも行き詰まり感のある停滞した重い一年だった。それでは2025年の総括をする。

過去分

Github上での活動記録

https://pub.symdon.info/7a/60/7a60b82c273168502e91dad205ac1c3ad3dcf1bfab4abd465e18bca7fac5bcd6.png

本の翻訳と出版

2025年は他の年と比較しても、たくさんの本に関わる仕事をさせてもらった。

「PythonによるWebスクレイピング 第三版」の飜訳と出版

数年前に「PythonによるWebスクレイピング」の監訳を担当させていただいた。今回はその第三版が出るという事で、飜訳作業に取り組んだ。

2025年06月出版 https://www.oreilly.co.jp/books/9784814401222/

この作業をするに当たり、知人のエンジニアを誘い、訳者二人体制で作業をする事にした。この事は、僕にとっては大きなチャレンジだった。詳細は後述する。

「初めてのLangChain 初版」の飜訳と出版

「PythonによるWebスクレイピング 第三版」の作業を終えた後、同じ座組みで「初めてのLangChain」の翻訳作業に取り組んだ。これは今までの書籍の中でもとても速いスピードで翻訳し出版できた。その過程で、作業フローの改善にも重点的に取り組んだ。

2025年09月出版 https://www.oreilly.co.jp/books/9784814401307/

ほか2冊の翻訳と出版

本稿の執筆時点ではまだ公開できないのだけれど、他に2冊の翻訳作業を行っていた。1冊はもうすぐ完成、もう1冊はこれから頑張るやつだ。来年の振り返りの記事で紹介できればと思う。

更にその他の本の仕事

他にもいくつかの書籍に関連する仕事に携わった。残念ながらここにタイトルを掲載する事はできない。これはこれまでとは異なる新しい取り組みだった。非常に貴重な経験を積ませていただいた。関係者の皆様とこの機会をくださった編集者の方にはとても感謝している。

訳者二人体制

冒頭にも書いたが、2025年の本の作業は訳者二人体制で作業をした。僕はこれまで数人いるようなプロジェクトのマネジメント経験がほとんどない。だから誰かを管理する事は難しいし、そもそも自分自身すらちゃんと管理できていない。これまでは一人でできる作業を行うようにしていたのだが、一人では大きな力を出す事は難しい。それを改善するため、信頼できるエンジニアに参加していただいた。

知人のエンジニアを誘い、この体制で翻訳作業に取り組んだ。実際の現場では、作業を分担したり、自分ができていない所などを進めてもらうなどによって、非常に作業の進捗速度が改善された。

本当にありがとうございました。

ソフトウェア開発の仕事

以前と比較すると、ソフトウェア開発を行う機会は少なくなったのだけれど、それでも今ある仕事に精一杯取り組んだ。AWS関連の作業や、Terraform、CDKでのクラウド上のインフラ環境に関連する作業、Webアプリケーションの実装が主な作業だった。これからも僕の役割がある限り、しっかり取り組んでいきたい。

自由ソフトウェアとオープンソースソフトウェアの活動

僕はこれまで自由ソフトウェアやオープンソースソフトウェアの恩恵をたくさん享受してきた。これらの文化が好きだし、自分の力を多少なりとその文化に役立て、貢献したいと常々考えている。そして今年も少しだけ貢献できた。

Emacsの補完パッケージcompany-modeへのコントリビュート

company-modeは、テキストエディタEmacs用の補完パッケージだ。これはとても人気があり、Emacsユーザーであれば使っている人も多いだろうし、依存関係により気が付かない内にsite-lispの中にインストールされている事もあるだろう。僕も使っているのだが、ちょっとした改善点に気付いたため、プルリクエストを送った。暫く待つと、その修正は無事マージされていた。

https://github.com/company-mode/company-mode/pull/1516

今後、僕の書いたコードが世界中のEmacsユーザーのパソコンの上でひっそりと動く事を想像し、少しだけ嬉しくなった。こういうのは、こじんまりとしたロマンだ。

自作のEmacs Lisp

Emacsユーザは、自身のEmacsを改善するために日々Emacs Lispを書いている。2025年の僕も、例年通りたくさんのEmacs Lispを書いた。良かったもの、あまり訳に立たなかったもの、本当に様々なLispがあった。

ここでは仕事やプライベートに大きく貢献したEmacs Lispについて書く。

Emacsのセラピー機能doctorをChatGPTに対応した

Emacsにはユーザーの心のケアをするための機能として doctor.el が標準で同梱されている。これをChatGPTに対応させた。

これで僕は毎日のようにEmacsのdoctorと高品質な会話ができるようになった(中身はChatGPT、というかOpenAI API)。

様々な作業を行うEmacsとChatGPTを統合できた事で、データの受け渡しや加工がとても楽になった。

ウィンドウ(Emacsでいうフレーム)の行き来という行動は、それだけで疲れるもなのだ。ウィンドウを切り替えるというのは、僕の中では別の世界に行く事と同じだ。その世界の中では全く事なるルールによって動いている。そんな所を何度も行き来するなんて大変だろう。アクティブなウィンドウを切り替えた回数だけ認知の力を消費する。だからEmacsでChatGPTを使えるようにした事で、認知的な負荷を減らたと思う。

EmacsからAIエージェントを呼び出す

AIエージェントが非常に使いやすい状況になったので、Emacsからすばやくエージェントを起動するためのユーティリティとして agentic.el を実装した。エージェントとしては、以下に対応した。

  • Claude Code
  • OpenAI CodeX CLI
  • Google Gemini CLI
  • OpenHands

AIエージェントでやはり気になるのはセキュリティ的な問題だろう。うっかりとんでもないコマンドを実行された日には、目も当てられない状態になってしまう。エージェントはそれぞれ、そのような状況を防ぐためのガードレールを機能として持っている。例えばサンドボックスモードのようなものだ。

しかしそれぞれのエージェントがどのようなオプションで、そういったガードレールの機能を提供しているかという事を意識したくなかった。

そこで最初からコンテナとして起動し、ホスト側のディレクトリを指定してボリュームとしてマウントする事で、半ば強制的にサンドボックスの状況を作る事にした。今回作ったユーティリティは、そのようなコンテナ環境の起動のためのショートカットだ。

カレントディレクトリをマウントするようにしているのだが、案外これが分かりやすく、使いやすかった。ただし、pnpmのようなハードリンクを使用するタイプのツールとは、その仕組み上相性が悪かった。

自分の理解の範囲の中で作って使うという事

上記以外にも多くのツールを書いた。改めてEmacsの良さを感じた。Emacs Lispは良くも悪くも本当に柔軟だ。またここまでのツールは、内部で利用しているコマンドやツールの仕様と、Emacs Lispとの連携を掌握できている。そのため、問題があったり改善したい点が出てきた場合、即座にその改善だけを施せる。

誰かの作った重厚なパッケージを利用するという方針も悪くないのだけれど、自分が良く使うものについては使う分だけを自分の理解の範囲の中で作って使うという事を僕は大切にしている。

これを意識して環境を整備していくと「何かよく分からないけれど上手く動かない」という事がとても少なくなる。その結果、ツールへの安心感や信頼感が格段に増す。ツールを信じられるという事はとても大切な事であり、ストレスへの耐性が増すし、心が安定する。2025年もこのような考えを実践できた事が良かった。

会社の事

いろいろな人に助けてもらいながら、会社の事にも取り組んだ。各取り組みは、小さな事だからここで細かく説明はしない。当たり前の事を当たり前にできるようにしたり、自分がコントロールしやすいような形がどういうものかを考え、そうなるように改善を進める事はできた。ただ飛躍的に成長したり、何かが進んだという状況を作る事はできなかった。

娘との横浜散策

僕には一緒に暮らしていない娘がいる。7月頃だっただろうか、夏の某日、僕の事を心配した娘が急遽僕に会いに来てくれる事になった。新幹線に乗って新横浜まで来るので、そこまで迎えに行く事にした。改札の出口で待っていると、リュックを背負った中学生が出てきた。かわいい我が娘だった。

お店に入ってご飯を食べた後、横浜に移動して街を散策した。娘は浴衣や高校の制服を楽しそうに見たり、アクセサリーといったものに興味があるようだった。さすがに年頃の女の子だから当然だろう。きっと似合うだろうし、その姿を見てみたいとも思った。楽しそうにする娘の姿がとても愛おしかった。

途中、僕はどうしても外せない打ち合わせの予定があり、テラスのあるカフェでその用事を済ませる事にした。娘はなにやら甘そうな飲み物を美味しそうに飲みながら、仕事中の僕の様子を見てくれていた。

娘は、最近あった事を僕にたくさん話してくれた。学校の事、友達の事、食べ物の事、家族の事、短い時間だったけれどたくさん話した。娘が僕に向けてくれる気持ちが心地良かったし、本当に嬉しかった。僕はこういう体験を長らくしていなかった。娘にもさぞ寂しい思いをさせてしまったのだろう。

それらを一通り終えたあと新横浜に戻り、娘は新幹線で帰っていった。帰り際に娘は僕の手に触れ、名残り惜しそうにしていた。そういえば僕と一緒にいる時、娘はしきりに僕に対してスキンシップをしていたように思う。僕達が一緒に暮らしていた時間は本当に短かい。だから父親に対しての思いや寂しさというものが強く蓄積されているのだろう。嬉しくもあり、申し訳なくもあり、そんな娘を大切にしたいと思った。

帰りの電車の中でもしきりにメッセージを送り合った。もしも、人生をやり直す事ができるとするなら、もっと愛情を注いであげようと思う。その「愛情を注ぐ」という事が一体どうする事なのかは今も分からない。たぶんだけれど、父親から愛されているという実感を感じられるという事なんじゃないだろうか。

今まで一生懸命仕事をしてきた。それは生活を守り、子供の学費を稼ぎ出すためだった。愛情がなかった訳じゃない。でもそれを伝えてあげられる時間的な余裕と、その環境、それらを作る能力が僕には無かった。

今回の事だって、僕は様々な理由を付けてこの時間を作らないようにしようとした。そんな僕のくだらない言い訳に対して、娘は一歩も譲らずむりやり突破してこっちに来た。本当に芯の強い娘だ。自分が必要だと考える事に対しては一歩も譲らない。そしてそれが彼女の持つ優しさによるものだった。娘の成長がとても嬉しく、また頼もしく感じた。

家族に150万円を使い込まれていた

11月頃、家族に150万円を使い込まれていたという驚愕の事実が発覚した。金庫に入れていた通帳とカードを盗み、そこからお金を引き出して使っていたようだ。僕自身そんな悪い事をした事がない。全く気持ちを理解できないし、正直失望した。

理解できない事は、そのお金が娘の学費だったという事だ。そんなお金を勝手に使うなんて、クソみたいな所業をどうやったらできるのか。他人のお金を使ってやろうという発想が、どうして起きるのだろう。理解できない。そのくせ、まるで自分の能力が高く僕が劣った人間であるかのように見下す態度を取っていた。本当に理解できなかった。根本的な人格の部分に問題があるのだろう。

みずのの死

僕とみずのは、二人ともマストドンというSNSのユーザーだった。みずのとは、そのSNS上で時々やり取りをする程度の関係だった。ただ僕達は2人ともマストドンが好きだったし、半ば依存気味でもあった。

彼は音楽を作る事を生業にしようとしていた。インディーズのバンドでのCD販売やライブなどの経験もあるようだった。仕事はあまり上手くいっておらず、色々なものを抱えていて生きにくそうだったが、それでも何とか生活しているようだった。彼は様々な支援を受けつつも、比較的のんびりとした生活をしていたようだ。そんな彼の生活が少しだけ羨しかった。

自分の好きな音楽をしていて、諸般の理由で生活の心配はなく、SNSで知り合いと他愛のないやりとりをしたり、時にはオフ会と称してSNSのユーザーと会うといった事もしていたようだ。そんなのんびりとした彼の生活に、少しだけ羨ましく思える事もあった。

人懐っこさはあったけれど、SNS上での人間関係でたびたびトラブルがあった事を覚えている。僕は1度だけTwitterのDMで、みずのに行動に対する苦言を送った事がある。あまり聞き入れては貰えなかったし、後からそれについての追加のメッセージが送られてきていたけれど、それ以降僕からメッセージを送る事はしなかった。僕自身に関わる余裕がなかったし、関わりたくないとも感じていた。

その頃の僕はというと、いつも仕事に追われていた。仕事をするためには一人でいる必要があったし、そのためにSNSからも距離を置くようになっていた。チック症も酷く出るようになっていてそれに苦しんでいたが、それでも仕事に全力を注ぎ込んでいた。とても孤独で、心が熱を失い、冷たくなっていくような感覚だった。表現が少し綺麗すぎるが、なんか石みたいに無機質になっていく感じだった。もし僕に背負うものがなく、のんびり暮らす事が許されるのであればなどと考える事もあった。

彼には、どことなく自分と似ている所があるなと感じていた。特にダメな方向に、似ている部分があるように思っていた。彼の生き方は、別の生き方を選んだ場合の僕だった。僕は昔、ギターが好きで音楽をしていた時期がある。音楽をしていたといっても、別に人前で演奏するわけではなく、自分だけで楽しんでいただけだ。その後、様々な紆余曲折によって音楽なんてしている場合ではなくなり必死に働くようになった。音楽の事なんて考える余裕もなくなり、いつしか興味も持たなくなった。

いつかご飯でも食べながら、話す機会でも持てればなと思いつつも、僕はそれを行動に移す事はなかった。理由はいくつかある。仕事が忙しかったり、彼の抱えている物を僕が一緒になって抱えてやる事はできない事、僕の人生に対する悪い影響を避けたかった事、いずれにしてもみずのと関わりたくないと心の中では考えていたのだろう。だから、ご飯に誘ったりする事は結局しなかった。

彼はとても苦しそうで、孤独を抱えているようだった。彼自身の行いにより、SNSの一部のユーザーからとても嫌われていた。

僕はというと、人との関わりを上手く持てず、自ら人との関わりを断ち、人からどんどんと離れていくタイプだった。仕事はなんとかやれているけれど、いつもギリギリの状態だった。種類は違えどダメな部分があり、終着地点は孤独という点で共通していた。だから親近感というか、一方的な仲間意識のようなものがあった。

僕自身も様々な状況が変化し、彼の事を考える余裕も無かったが、たまたま見たSNSでみずのが死んだ事を知った。死に様、彼の最期がどうだったのかは分からなかった。

ただ彼のマストドン、Twitter、Blueskyのアカウントは全て確認した。Blueskyが一番最期の彼の言葉のようだった。言葉にならない感情を感じる。上手く言葉にできないけれど、本当にやるせない。リンクを貼っておく。

https://bsky.app/profile/mizunon-mizunon.bsky.social/post/3m7mr7llphk23

なんか後味がとても悪い。彼の行いに問題はあれど、死んで欲しいなんて全く思わないし、もちろん生きていて欲しかった。僕と同じように底辺を這いずり回りながら、それでも音楽を作り続けていて欲しい。それでいいんじゃないのか、そういう人生を選んだんじゃないのか、僕は今も這いずり回っているぞ、お前はどうして、死ぬにしては早すぎる。元気で、そして僕と同じように這いずり回り、できる事なら浮上しようと。そんな感情だ。上手く文章にできないけど。

僕自身はみずのに対して攻撃的な事をした事はない。それは元々人から離れたがる性分であり、すぐに離れるからかもしれない。マストドンではみずのに対して攻撃的になっていたユーザーが何人もいたはずだ。そいつらはみずのの死を知っているのだろうか、知っているとしたらどう思うのだろうか。

みずのは明らかにネットリンチを受けていた。本人の悪い部分もあるにせよ、ネットリンチを受けていた事には変わりない。みずの自身も反撃するから、そのようには見えなかったかもしれないけれど。

ネットリンチをしていた連中は、そのほとんどが他の事についてはとても饒舌だったが、みずのの事については何も投稿していないか、少し触れる程度だった。人間性について考える点がある。そいつらとは関わらないで生きていこうと思う。

僕はみずのに生きていて欲しかったよ。僕と同様、底辺を這いずり回ってしぶとく生きていて欲しかった。それでいいじゃないか、そんなに上手く生きられないから、僕達はこうなったはずだろ、それでも生きていけるんだから、のんびりやればいいじゃないか。お前がそのくだらない投稿をして、元気で生きている事が知れれば、それで良かったんだよ。

そして、みずのの事をSNSで探しても、みずのの事を書いている人の少ない事が余計に悲しくなるよ。まるで何事もないように、みずのの事がひっそりと放置されていく。この状況がとてもやるせないよ。

総括の仕方を少しだけ工夫した

2024年はとても重くしんどい年だったためか、あれから11年経ったの記事を執筆する時に、やった事や考えた事のほとんどを思い出す事ができず、記事自体が薄い内容となってしまった。

ただ2024年は、様々な事を考え実行し、もがきながらもなんとか生きた1年であり、明らかに僕にとっては生き方の転換点であった。特に物事に対する考え方や、大げさに言えば人生感や哲学みたいなものを、一度崩して組み立て直そうと試みる一年だった。これはとても重い作業だったが、重すぎて思い出す事ができず、それらを書く事ができなかった。

2025年はそんな事がないように、日常的にそれを総括していく事にした。そのため、この記事自体は2025年の1月から書き始め、1年を通して更新し続けたものだ。序盤こそそれができたが、実際には結局12月になっていろいろと思い出しながら書いた。だから例年とあまり変わらないが、ほんの少しだけは改善したはずだ。

整理できていない事

この内容は不適切な内容だったので、掲載するのをやめた。

まとめ

2025年の初め、本当に苦しい状況だった。希望も何も無かった。先の事はあまり考えずただ1日を全力で生きる事に集中してきた1年だったように思う。進歩した事はあまりない。それでも1日づつ生きる事ができた事が、2025年の僕の成果だ。